井上食堂

井上由子のブログです。創作ジュネとか息子とか日々の話です。

なんか描きたい

 なんか描きたいです。

 

 漫画やらくがきをを描くのが好きなのですが、私は筆が遅く、漫画を描くのに大変膨大な時間がかかるため漫画が描けていません。悲しいです。

 

 

 昨年出産して、今絶賛手間暇最高潮の0歳児が家に居るので自分の時間なんか取れるわけないし、取れるわけないのは承知で産んだので理解はしているのですが、理解していたって描きたいものは描きたいし欲求は消えないんですよ。

 というわけで漫画が描きたいんです。

 

 実際に描きあげる暇がなくとも、脳内でああいうの描きたいなこういうの描きたいなって練ったりネームを切ったりして遊ぶとか、ちょっとしたネタをメモ帳に書いておくとかはしているんですが、どうしてもちゃんと形にして仕上げるほうが楽しいので不完全燃焼になっちゃいます。

 ネタだけがどんどんたまっていく。

 

 べつに誰かが読んでくれる確証もないし、描いたところでなにがどうなるってわけではないんだけど、今しか描けないものがあるよな~って思うと今描きたくなるんです。

 

 だって少しずつだけど絵柄は変わるし、私も変わるし、正直10年前の自分を今の自分が見ると「あいつ……なんか……違うな……」って思うし、20年前の自分なんか理解出来ないただのバカ熱血風味だし、そうするとその時代にしか描けないものってあるじゃない。私、そういうのが好きなんだよね。他の人のお話を読むときだって、作品が面白いのはもちろんだけど、背後に見える作者やその考えを強く意識しているよ。そこに好感が持てる作家さんが好きです。

 

 作者が見えると言っても、理想化された作者(俗に言うメアリースーですね)ではないです。書き手の文化圏や出身地や価値観が見えるのがいいの。

 例えば冬の描写でも、日本海側の人は雪や曇り空を描き、太平洋側の人は快晴と空っ風を描写するみたいなことです。

 

 私もそういうものが描きたい。「あの時の自分」が見えるお話が描きたい。将来の私が読んで元気が出るようなものがかきたい。

 でも描けない。地獄では?

 

 

 話が違うかも知れないけれど丸紅茜さんが引退されるときにサイトに掲載されていた文章(リンク貼りたかったけどもう削除されていた。残念。なので記憶だけで喋ります)で、「今しかかけないものを描くことができないまま過ごしてしまい、そしてもう描けなくなってしまったので描くのをやめます」ということを仰っていて、少なくとも私はそう受け取る文章だったんだけど、すごくよく分かるなって思いました。

 今しか描けないものって絶対にある。そして人生はいつでも描きたいものに溢れていられるわけではないのだ。今あるこの情熱だって明日には消し飛んでしまうかも知れないでしょ。

 

丸紅茜さんのサイト

sites.google.com

 

 というわけで、描けなくって悲しいなあというお話でした。

 こんな日記を書いている暇があったら漫画を描けばいいじゃないって?それはそうなんだけどこの日記一本描くくらいの時間じゃ4コマの下描きだって終わらない、なんならネタ出しすら始まらないくらいの筆の遅さなので無理なんだな!

 そのうち時間が取れるようになるかしら。なるといいな。あと、新しく描き始めるのは無理でも、せめて今描き途中のものくらいもう少し進められるように頑張りたいです。頑張るぞ!